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すべての父へ

 ー スタッフのコラムー
ロドリガス晴海(クリエイティヴ・ヴィジョンUSA)
【すべての父へ】

6 月:日本では “梅雨” 、アメリカでは “卒業シーズン” 。
そして忘れてはならないのが “父の日” ですが、
母の日に比べると少し影が薄い印象です。
5 月に母の日を祝ったし、
”じゃあお父さんにも感謝をしなくては “、という “ついで” ではなく、
改めて父への感謝を考えてみたいと思います。
 
父の日は、アメリカの女性、ソノラ・スマート・ドッドが
最初に提唱したと言われています。
軍人だったソノラの父親は、南北戦争から復員後に妻に先立たれ、
その後、6人の子供たちを男手ひとりで育て上げました。
6 人兄弟の末っ子で、父親を深く尊敬していたソノラは、
”母を称える日があるなら、父親を称える日もあるべき “ と考え、
1909年、所属する教会の牧師協会に訴えました。
そして、彼女の一途な主張に共感した牧師たちは、
その翌年の1910年6月19日に
”父の日”としては初めてとなる式典を執り行ったのです。
その時にソノラが父の墓前に白いバラを飾ったことから、
バラが父の日のシンボルになりました。


日本では白い花は故人に送るというイメージがあり、
黄色や色とりどりのバラが人気のようです。

母の日のカーネーションも、
アンナ・ジェービッツという女性が、
母親の奉仕や社会運動を称えて、
白いカーネーションを式典参加者に配ったことが
始まりと言われているので、
親を敬う日のシンボルが白い花だったという類似点があります。 

このように “母の日”と “父の日” の起源は、
ほぼ同時期なのですが、
その後の経緯は大きく異なります。
母の日が提唱された1910年の4年後には、
5月の第2日曜日が母の日と制定されたのに対し、
“父の日”は、最初の式典があった1910年から、
1966年にリンドン・ジョンソン大統領が、
6月の第3日曜日を父の日とすると宣言するまでに56年。
その後、実際に国の記念日と制定されたのは
更に6年後の1972年。
62年もの歳月を経てようやく制定されたのです。

日本では1950年代より、
デパートや商業施設のキャンペーンが活発になり、
6月の第3日曜日が “父の日” として認識されるようになりましたが、
やはりここでも日本商法が一役を担っています。
1981年に “日本Father’s Day委員会 “が設置され、
日本における “父の日” も一般行事の一つになってきましたが、
委員会の設定した”Best Father Yellow Ribbon賞 “で、
有名人(俳優)、アスリート、実業家、医師などが “良い父親” に選ばれ、
毎年話題にはなるものの、
こうしたイベントは、
本来の” 父親に感謝する” という部分が置き去りにされている感じがします。
 
世界の父の日は、アメリカ、イギリス、カナダ、日本など、
多くの国がアメリカ由来の6月第3日曜日を父の日としていますが、
韓国では5月8日が”両親の日“、
ドイツでは、イースター後の第6日曜日に父親たちが仲間と過ごす
“父の日” を祝う風習があります。
また、南半球のオーストラリアでは9月の第1日曜日、春の訪れとともに
父の日をアウトドアで祝います。
フィンランドの父の日は11月の第2日曜日です。
これは、祝日のない11月に父の日を滑り込ませたと言われています。

普段、身近な母親には感謝の気持ちを表したり、
お花やプレゼントを贈ったりすることにあまり抵抗のない私たちですが、
父親へ感謝の気持ちを示すのは何となく照れくさくて
ネクタイやゴルフ用品などの“お決まりギフト”を贈って
気持ちを伝えずに済ませてしまうことも多いのではないでしょうか? 

“父” と言っても実の父とは限りません。
周りを見渡すと、実の父の他にも、
義理の父、祖父、恩師、上司など、
私たちの人生には、心配してくれたり、励ましてくれたりする
“父親的存在” が多くいることに気づきます。
お中元やお歳暮をデパートから発送して
お世話になった方への感謝とする日本人は、
感謝を自分の言葉で表現することが苦手なようです。

今年の父の日には、今一度、人生を振り返り、
血が繋がっていなくても、私たちを支え、見守ってくれた“父のような存在” 、
大きな愛で私たちの人生を豊かにしてくれた人生の先輩達に
心からの感謝の気持ちを伝えてみませんか? 

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