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アメリカ便り By ロドリガス 晴海

 CV スタッフのコラム 

By ロドリガス 晴海 (クリエイティヴ・ヴィジョンUSA)
 

【アメリカ便り】

非暴力の力 
1月15日は 公民権運動のリーダー、
Dr. Martin Luther King Jr 牧師の誕生日。
アメリカでは、キング牧師の功績を称え、
1月の第三月曜日がMartin Luther King Dayと
祝日に制定されています。
今回はキング牧師の足跡から、
非暴力の強さと結束力について考えてみました。

島国で長い鎖国により、
単一民族の純度が守られてきた日本に比べ、
アメリカはヨーロッパ勢力の植民地、移民の歴史、
そしてアフリカからの奴隷の売買により人種が混在しています。
それにより有色人種、特に顕著に肌の色の違う黒人は
長い間差別に苦しんできました。
今日、法的な人種差別は禁止されたものの
アメリカでは差別は根絶えてはいません。 
2020年には黒人が白人警官の拘束により窒息死に至り、
それをきっかけにアメリカ各地で暴動が起こりました。 
Black Lives Matterという主張を叫び、
暴徒達は、商店を破壊し略奪をし、
止まっている車に火をつけるという
自分たちの主張の為には手段を選ばない暴力、破壊運動を続け、
罪もない市民を傷つけ、
多くの都市で被害が報じられました。
また大統領選挙に抗議をして、
由緒ある国会議事堂に乱入して犠牲者を出した事件は
つい最近の出来事です。
このような目的の為に手段を選ばない行動、暴動や破壊は
決して市民の共感や世論の同意は得られないばかりか
反感を募らせ、無益な被害や犠牲者を出すばかりです。

キング牧師の運動には著名なものが多くありますが、
その中でも特に際立った事例を紹介します。 
一つは1955年の 
アラバマ州モントゴメリー市のバスボイコットです。
これは、1955年12月1日、
まだ黒人差別が法で定められていた
アラバマ州モントゴメリー市で
ローザ・パークスという一人の黒人女性が、
黒人席に座っていたのに、
白人の為に席を譲れと運転手に脅され、
それでも席を譲ろうとしなかった為、
ローザは逮捕され罰金刑を課せられました。 

この逮捕をきっかけに
地元の人権運動家達が
赴任したばかりの若いキング牧師をリーダーに仕立て、
バスボイコットを計画しました。
キング牧師のリーダーシップでボイコットは決定しましたが、
実際にはどれだけの黒人が参加するのか、
いつまで続くのかは未知数でした。 
それでも、ボイコットの初日である12月5日、
モンゴメリー市に住んでいる4万人以上の黒人は結束し、
その朝、バスに黒人の姿は一人もありませんでした。 
市当局はほんの2、3日のことだろうと見なしていましたが、
黒人達は結束し、職場や学校へ歩き、
自転車または自家用車の相乗りで
バスのボイコットを381日も続けました。
その間、キング牧師は家を爆破するという恐喝を受け、
ローザ・パークスにも不当な圧力がかかりましたが、
黒人達は結束してボイコットを続け、
翌年1956年最高裁判所は、
ローザ・パークスの逮捕は違憲であるという判断を下し、
キング牧師たちは非暴力で勝利を勝ち取りました。
最初は一人、それが10人、100人、4万人の黒人が結束をして、
世論の注目を集め社会を動かしたのです。 

もう一つの事例は有名な“I have a dream”という演説です。
この演説は1963年8月28日、リンカーン記念堂前に集結した
ワシントン大行進の時のものです。
この行進は、1863年のリンカーンの
奴隷解放宣言から100年を記念して、
人種差別撤廃運動の世論を盛り上げる大きな力となりましたが、
30万人とも言われる参加者は、武装はせず、
スーツやきちんとした服装で
“We Shall Overcome”と歌いながらの平和的な行進をしました。 
アメリカ国外からも多くの著名人、芸能人、文化人も参加しました。 
リンカーンの 
”All men are created equal”という引用から始まった
キング牧師の演説 
“I have a dream”は歴史的にも有名な力強い演説でした、

“…私には夢がある。
いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色ではなく、
人格の中身によって評価される国で暮らすという夢が。
今日、私には夢がある!”
これらのキング牧師の運動により、
1964年、ジョンソン政権のもと
アメリカ連邦政府で始めて法律での
平等=公民権法“Civil Rights Act”が制定され、
黒人や有色人種は
これまで州法により使えなかったレストランや
公共の施設を白人同様に使えるようになり、
黒人の子供たちは白人と同じ
公立の学校に通えるようになりました。
この功績によりキング牧師は
1964年のノーベル平和賞を受賞しています。
残念なことに、1968年4月4日キング牧師は
テネシー州、メンフィスのロレインモーテル306号室の
バルコニーで銃撃され暗殺されました。

キング牧師ほどのノーベル賞受賞者が、
ホテルではなく何故モーテルに滞在していたのでしょう? 
キング牧師の活動していた時代は法令で
黒人はホテルに泊まれませんでした、
その為キング牧師はメンフィスでは、
黒人オーナーのこのモーテルを定宿としていたので、
暗殺の標的になってしまったのでしょう。
今日、メディアやSocial Networkが発達して、
自分の意見を自由に発信し、それに対して
心ない誹謗中朝で多くの人が傷ついているのが現状です。
大統領選を始め人種差別の問題には、
ネットワーク上だけでなく実際の暴動や破壊が起きている中、
Martin Luther King Dayに、
非暴力、非服従、不当な扱いに信念をもって
戦った人達のことを振り返ってみました。
コロナ禍の中の大変な時期でも、
名もない私達一人ひとりの”がんばろう“という姿が
物事を変えて行くのではないでしょうか?  

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